230706

極楽鳥花を初めて見た。この4月のことだ。

1月にステートメントも出したが、期間限定(とはいえ、数年の予定)で南カリフォルニア、ザックリ言うとLAのずっと南の郊外、に住んでいる。
日本人/日系人に限らずアジア系のきわめて多い地域で、お店の人なんかも外国人に慣れているので、生活の不便は案外ない。
そろそろこちらの免許を取らなくてはとか、英語を習いにESLに通わなくてはとか、そういうことを言い続けている。

からっとした気候、広々した土地。植物の色は、日本の湿潤でみずみずしい緑よりはいささかくすんでいる気がする。
それでも内陸で砂漠気候の隣州なんかと比べると緑は豊かだそうだ。
乾燥と砂ぼこりが最初はとてもつらかったが、ずいぶん慣れて、カラーレンズの眼鏡をかけて外出することにもためらいがなくなった。

日本よりも太陽が気温に与える影響がとてもわかりやすくて、陽が沈んだとたんに一段涼しくなる。
サマータイムの恩恵もあり日没は遅くて、夏至前後は20時過ぎまで明るい。
夕方にはもう外に出る気がしなくなるのだが、夜があんまり短いので驚く。

いろいろの違いに少しずつ慣れ始めて、でも当然まだまだよそ者で。
やらねばならないことは多いけれど、できることが思っているより少ない。

演劇と関係ないキャリアも絶やしたくなくて働きたい気持ちはあるが、以前人づてに聞いた話にけっこう傷ついていて、当分フルタイムでどこかの組織に所属するような働き方はするまい、と思う。
退職したというだけで、”面談”で、あることないこと言っていたことにされてしまうらしい。話した内容に対して面談者の想像力が豊かすぎたのか、何かの腹いせなのか知らないが、うんざりだな。

ものを書いたり、趣味と実益を兼ねるならたとえば動画を作ったりして遊んだりするのもいいだろうけど、まだなんだか食指が動かずにいる。
少し書いては消して、何を書けばいいのかずっと考えている。
働くにしても遊ぶにしてもこれまでと違うことをたくさん経験したい気持ちでいるけれど、まだなくしたものばかりがまぶしくて、さびしい。

うつくしい霧

勢いで、DEMETERのコロンの、5mlサイズを10本買った。
だって、好きにならずにいられるだろうか。こんなの。
シングルノートのオーデコロンで、そのままつけるのもいいけど、
手持ちの香水やDEMETERのもの同士を重ねたりしていくらでも遊べるらしい。
そんなの、ときめかずにいられるだろうか。

香水を置いている段はもういっぱい。
いつか母親が買い与えてくれたオードトワレが香水瓶に半分以上残っていて、
もう古い香水だし、あと1年余りで20代を終えようとしている自分には少し若いから、
ぜいたくにピローミストにしたりするけど、まだずいぶん残っている。
名前を言うのがちょっと恥ずかしいくらいメジャーなところのサブブランド。
ゼロ年代終わりの女の子っぽい、懐かしくていとおしい、フルーティフローラルの香り。

少し前のクリスマスに連れ合いと互いの欲しいものを贈り合ったとき
二人で選んだJ-scentの薄荷が最近は気に入っていて、春夏の仕事に行く日につけることが多い。
つけたばかりは薄荷の香りが強く清涼感が強いけれど、ミドルノートの女っぽいフローラルが
きちんと奥に控えている感じが好きだ。

一時期VAPEを検討した理由が「煙草じゃなく、何かいい香りを吸いたい」だったので
そもそもからして香りものをどっぷり好きになってしまう素質はあったんだけど
ただ、自分が身にまとう香水は、少しコンプレックス込みの好きかな、という気がして。
だって自分の体が美しかったことがないのも、
いい匂いなんかするはずがないのもずっとコンプレックスで。
でもその不足を補おうと思う自分を恥じるのはやめようと、最近は思っている。

どんな些細なことでもいいけれど、
不足していたなにかをちゃんと自分で手に入れた人は、誰もかれもかっこよく見えて。
ありとあらゆるきれいごとの中で、努力だけは最後まで信じていたい、と思う。
どんな些細なことでも、自分のために、自分がなりたいものになろうとするのって、
子どもよりもむしろ大人の特権であるような気がして。

自分を好きになる努力とか、そういうもののひとつとして
戯れに買ったカラコンも、けっこう面白い経験だった。
好き勝手化粧して、好きな香水をつけてきりっと歩く日も
すっぴんに普段着で気楽にだらだら歩く日も
変わらず楽しく生きようとか、自分を好きでいようとか、
そういう些細なことを考えながら生きているのが、いま、けっこう幸せだ。

身近にも、ニュースにも、怒りや不安を覚える出来事はいっぱいあるし、
ありとあらゆる欠如や悲しみを、ただの一つだって忘れてやるものか、と思う。
人生が順風満帆だったことなんてないから、これから先もどうなるか分からない。

だけど、これからも、どんなに辛い日も、今日だけはなるべくいい日であれと、
うつくしい霧を腰に吹きつけ、願いながら生きていくのだと思う。

書き上げて暫く

何を書くかいつもあまり決めずにwordpressに向かう。
そんなに大それたことを書かないし、書いてるうちに書きたいことが書かれてくる、ような気がしている。

とはいえ、戯曲、脚本、の類はそういうわけにいかない。
何度も書いて、消して、いいえ消すのはもったいないから、正確には隔離して残すんだけど。
残しても、残しても、戻せるような気がしなくて、悲しくなったりはしていた。
没、没、没、没。

そうやって何年も同じモチーフを持ち続けぐずぐずするほうなので、
3月半ば頃から急に筆が走り出したのは想像もしなかった事態だった。
きっかけは、しばらく揉んでいた話の設定をたった一つ変えただけのことだった。
少しパーソナルな方向に引き寄せたのはそうだけど、だからといってこれほど饒舌になるとは。

早く書けたからと言って人にうまく伝わるとは限らないし、
作品がいい方に変わっていたとして、人から見たら大したことない変化だろうと思うし、
そもそも、気のせいにすぎないような気がするし。
でも、何かを掴んだような気がして、少しだけ、先に自信が持てた気がする。
もっといろんなもの、書いてみたいと改めて思う。

もうじき29になろうという歳でも、急に変化を体感するようなことは起きるのだな、と思う。
80まで書き続けたら勝ちだと自分で決めている。
そのころ、私は手元になにを持っているだろう。

しらじらと暗く

湾岸の埋立地の夜は暗くて、青白い街灯と海からの風だけがつめたい。
喫煙所の脇を通りすがって、顔をしかめる。
赤と白の定置式のクレーンが無数に立っていて、
そういえばクレーンとは鶴のことではなかったか。
丹頂の色、といえば、それもそうか。

つめたい風は吹くけれど東京の冬はそんなに寒くなくて、
ポケットに手を入れれば手袋は要らない。
雪が積もるのは年に1回か2回、1cm積もれば交通が乱れ始めるというし、
過ごしやすいというよりは、
これは本当に冬なのだろうかと、拍子抜けする日すらある。

滋賀の南は関西のまちなかとほとんど同じ気候で、
特別寒くも、豪雪地帯でもないけれど、時々しっかり雪が積もる。
母は毎年律儀にスタッドレスに履き替えて、
本格的に活躍するのはまれだけど、十分、無駄はないぐらい。

街灯は眩しいのに白くて暗い。駅までの道を猫背で歩く。
似たようなリュックに予備校の参考書を詰めて
猫背で暗い道を歩いた9年ぐらい前、
京都はもっとずっと寒かったよな。

ポケットから手を出せば、東京のぬるい冬も多少は冷たくて
ふと、思春期のおわりの指先の鋭敏さを思い出す。
冬のベランダに出て指先を冷やすのが好きだった。
大泣きの前には指がじんとしてひりひりとした。
どこにも行けないような気がしたとき、こわばった指で食器を掴み損なった。

あの頃書いた詩のなかで、
透明水彩で色とりどりに汚したワイシャツや、
水底で錆びて、音もなくちぎれたピアノの弦。
ソルビトール、舌下錠、マイナーセブンス。
今もどこかにあるだろうか。

書いたことすら忘れてしまった言葉があるような気がするし、
覚えていても、口に出すことを許されない言葉があるような気がしている。
性愛とか、嫉妬とか、感傷とか、怨嗟とか、憧憬とか、
そういうものと絡まり合ってしまった、声に出せない言葉。

特筆して美しくも醜くもない言葉の連なりに、
それなりに醜い自分の姿が見えてくる。
誰に謝るために書いているんだろう、と思う。
自分のために謝り続けて、いったいなんになるんだろう。

猫背のまま、駅を見上げる。
驚くほど無遠慮に、明るく光っていて、どことなくばかばかしくて、
私のことなんて誰も見ていないって、分かっているのに恥ずかしい。
いっそ怖くないように、目を閉じて改札をくぐろうか。

美しくあること、見つけてもらうこと

見目が美しかったこともなければ、平均より美容に関心を持っていた覚えもないのだが、何の因果かここ2年ほど、化粧品を売る商売に関わりながら糊口をしのいでいる。
どうしても、いわゆる「女らしさ」をいとわない女性が多い業界に、
たまたまスキルが合致しただけの、私のような女がまぎれているのは、わりあい奇異なのではないか、と思わないこともない。

男性も容姿を問わずそれなりにいるわけで、無頓着そうな眼鏡女が一人紛れているぐらいのこと、実は特に気にする人もいないのではないか、という気もするのだが。
この業界に身を置いていながら、いまだにひとりでデパートのコスメカウンターに行くのは気が引けてしまう自分のことをそれなりに恥ずかしく思ってはいる。

わずかにずれたところに座る自分のたった2年弱のキャリアで、確信をもって語れることなんてひとつもないけれど、
品物よりも夢を売る商売をしているな、と感じる瞬間は多い。

ただでさえ美しいモデルを何百枚と撮影して、1枚のベストショットを必死で選び抜いて、
法律ギリギリのラインをかいくぐる表現を必死で探して、夢のような言葉に、ほんの小さな、ぎりぎり読めるか読めないかの注釈を入れて、嘘はついていないとアピールをして。
顧客をごまかしているようで、とことん忌まわしい仕事だと思う日もあるけれど、何より尊い天職だと思う日もある。

どんなにいい品物でも、中身がいいだけでは、売れないのだ。
目に留まらなければ。知ってもらわなければ。

色々鑑みて、自分が演劇をやるときに宣伝というのはかなり意識的に最低限にしてきたところがあると思うけれど、
キャストやスタッフにきちんと対価を支払ってプラマイゼロ、に近づけていくにはどうしたらいいのか。
自分が軸になって作る作品は、どんな人に届けるべきものなのか。
もっといろんなことを考えてお芝居を売らないと、趣味としてもやっていけなくなってしまうだろうな、と怯える日が確かにある。

そういうの、忌まわしいと思うばかりじゃなく、天職だと思う日もあるわけだし。

仕事帰りに凝った首をほぐそうと上を向いたら、星がやたらするどくまたたいていた。
ほんとはこんな風に何気なく、見つけてもらえればいいんだけど、
何気なく見つけてもらうために必要な、恒星のその熱量を思う。

泣いてる暇はない

、と虚勢を張れる強さを持ち合わせていれば、もう少し色んなことがうまくいっただろうか。と思って。
「遠回りしながらも正しく歩いてるんだ」、と思うようにして進んできたつもりだけど、挫折感がぬぐえないときはあって、
いっそ大声で泣きたいのに、ここしばらくの世相もあって引きこもっていると、刺激が足りなくて涙も出ない。

すごく恥ずかしい話、
2012年ぐらいから、形を変えながらずっと書き続けている作品がある。
もはや跡形もなく形が変わってしまって、でも書いて消して、
投げ出してしばらく放っておいて、また取り掛かって書いて消して、
私の力量では終わらせてあげることができないまま、ここまできた。

2年ばかり放っておいた、妄想の成れの果てのような文字の塊があまりにかわいそうで、さすがにそろそろ形を決めてあげたくて、
話の軸をそのままに新しい形を持ち込んで、古いフレーズも取捨選択しながら、人物の性質とか、細かい部分の設定とか、そういう部分を大きく見直して、
キャラクターがようやく完璧を嫌って、自ら動き出したような手触りがあって。
少しずつ、また進めている。
今度こそ終わらせたいし、やっぱりどこかで、自分の手で上演したい。

2012年に書き始めたものと「同じ作品」だと言い張る根拠はタイトルだけ。
軸はそう大きくぶれていないにせよ、モチーフも話の動きも大きく変わって、
さすがに表に出すときには改題しなければならないんだろうな。
8年も持ち続けた仮タイトル、日の目を見ないとしたら寂しいだろうか。
でも、こんなに長い間定められなかった結末を、些細なこだわりでだめにするほうが怖い、と思いながら、パズルを解くように一文字一文字を打ち込んでいる感覚。

何年も書いて消し続ける方なの、致命的だよな、って当然自分でも思っているけれど、
一度書き始めたものならなんとかして完成させたいし、
こじつけでもいいからそのときに完成させる意味を見出したい。

道にはきっとそもそも正解も間違いもなくて、
客観的には間違いっぱなしかもしれない道を自分なりに「正しい道」だと思えるように歩いてみたのは紛れもなく自分なので、
そういうある種のポジティブさだけはなんとかして誇れるように、こじつけてやるんだよ、と。
技術も体力もないまま、他人からは未練にしか見えないような感情とモチベーションだけで、書く人間、演劇をやる人間、を名乗り続けているならば。

「泣いてる暇はない」と言えずにどこかで泣く予定なら、まあそれはそれ、
だったら、泣いても足を止めないためにどうするか?

0703

仕事に疲れて体調を崩し、少し長く離れて、睡眠とか、日々のルーティンだとか、少し狂ってしまった。

GRAPEVINEを聴きながら、いつ上演できるかもわからないものを、夜中から今にかけて、何時間とかけて書いている。

今の時期に公演を打つ劇団の収支がかなり苦しいだろうことは想像がつく。
ならば、しかもそれが知り合いであれば、何を差し置いても行って観なければという気持ちと、
たとえば最悪の場合、観に行って数日後に自分の感染が分かったとき、どうやってその責任を取ればいいのか分からないという一抹の不安と。

年に1回も芝居ができればいいとこ、観客の側であることが圧倒的に多い私ですら、観客の立場で立ち尽くしてしまうというのが正直なところだ、

上演する側に立つことが圧倒的に多いあの人や、あの団体は?と心配し始めると本当にきりがない。

わたしたちはどこへ向かうんだろう、という不安が渦巻いて、ひどく重苦しいまま、この数か月を過ごしている。

素人として、せめていつか私の手で上演するはずの戯曲を、筆を進めるほかないのだけれど。書きなぐりたくなるほどには参っている。

0410

肉体があって、わたしがここにあって、折々の抜け殻として、文字の羅列を残す。

なんてことのない日常の営みとして。

肉体を伴わない言葉はないけど、つたないなりに体温を感じる言葉を残そうと思う。

当然、人肌の生あたたかさを孕んだ言葉なんて偏りそのもので、誰かの明確な救いにもなるんだろうし、一種のグロテスクでもある。

せめてその偏りが明快であれと思う。

わたしはとんでもなくずるく弱い生き物だし、ずっと不確かに漂流しながら、間違いばかりして、人を傷つけながら生きているけど、

言葉ぐらいは、その精一杯の虚勢として、なるべく媚びず、阿らず、立って誰かに手を差し伸べようともがくようなものを並べたい。

けれどそれだって、傷つけてきた誰かへのせめてもの言い訳であり、なんとかして格好つけたい自分への償いなのだと思う。

わたしが書いているのはいつも、回りくどく謝るための言葉だ。

謝ることができない大人にはなるまいというのが信条だけど、

最近は何度も筆を置いて、一向に、言い訳も謝る言葉も浮かばない。

時間だけは有り余っているはずなのに、なんの空想も浮かばなくなってしまい、

どう表現していいかわからないけど、イマジナリーフレンドを亡くしたようなスランプ加減だ。

ついに筆を折ろうかとさえ思った。

立ち現れた現実は私たちを進行形で打ちのめし続けていて、こういうときに、生ぬるい気持ちで誰かに寄り添っているふりをするのは、普段以上に、とても醜悪だと思う。

なんのために書いているのか自問自答を始めて、落ち込んで、逃げて、自傷じみた無益な一人問答を繰り返している。

だからこそ、なにか書かねばならないときでもあるのかもしれないけれど。

80まで何かを生み続けることが目標、と言ってしまったからには、意地で続けなければならない、と、確信めいたものはあるけれど。

そうして、こうやって、眠れない夜にブログぐらいは書く気になったらしいけれど。

やれるのかどうか、まだ自信はないまま。

そういえば、爪先立ちが似合わない歳になったよな、と思う。

もっとも、かろやかにつまさきで跳ねる少女だったころなんて、私にはなかったし、裸足を地面につけて、一歩ずつ進む以外に道はないんだろう、

これまでもこれからも。

背伸び

ブログはすぐに不精になってしまう。

アトリエ5-25-6Produce vol.1  くちびるに硫酸 #3 「あの星にとどかない」
終演のご挨拶もブログではしていなかったんですね。
アトリエ5-25-6(gekidanU)の皆様、出演者・スタッフの皆様、観に来てくださったお客様、本当にありがとうございました。

実は打ち上げの乾杯で泣き出してしまったのですが、
色んな刺激を頂いて、もう少し背伸びしたい、と思ったのが大きいです。
もうこんな歳、同世代より下で演劇を仕事にして巧みにやっている人がたくさんいて、そういう中でつたないものを「同人誌みたいにやる」って、自分のエゴ以外に需要がどこにあるの?って自分に囁く自分がいて、そういう気持ちとの戦い。
だけどまだあと少し、あと少し、細々と続けていきたいので、
もう少しだけ見守っていてほしいです。

今年も大変多くの方にお世話になり、本当にありがとうございました。
まだ、一緒にやらせていただけることに、心からの感謝を。

壊れるとき

愛しいものとの時間を過ごすとき、その終わりについて考えることをやめられない。いつもそうだ。
家族や友人と何気ない食事をするとき、愛らしい飼い猫の年齢を聞いたとき、すやすや眠っている恋人を見るとき、いつも心のどこかでその残り時間が怖い。

恋人は寝起き、いつも顔も耳も真っ赤にしている。赤ちゃんみたい。
昼寝、カーテンを閉めた薄暗い部屋で、赤い顔で呻くのを隣で見ながら腹に手を当てる。
腹か、さもなくば頭か、胸か……どんなに無事に生きたって、いつかはどこかが壊れて、すべてなくなってしまう、二人とも、ここからいなくなる。
肉を焼ききったあとの相手の骨に触れるのは、私か、彼か、どちらなんだろう。それともどこかで道を違えて、逝く日にはもう、私たちは他人として生きているかもしれない。今はまだ想像もできないけれど。

今年の夏、母方の実家に行った。北海道の田舎だ。私と恋人と母で、祖母たちに会いに行って、祖父たちの墓参りをした。
数年前に逝った祖父の遺骨はロッカー型の納骨堂に収められていた。祖母はいつもわざわざロッカーを開け、「お父ちゃん、今日も来たよお」と愛おしそうに言いながら骨壺を抱きしめているといった。
祖父は寡黙で、祖母のかまびすしいおしゃべりを黙って聞く人だった。祖母は死後の祖父が聞いていると疑っていないだろう。
死後に残る意識や霊魂そのものを私は信じていないけど、そのときばかりは、そういう世界を一緒に信じたいと思った。

死後の世界を信じることや死者を祀ることは、死者を忘れないことそのものもそうだけど。
たとえば古い「家の墓」みたいなものを考えると、死後、自分も、顔も知らない血縁の誰かに「ご先祖様」として漠然と思いを馳せてもらえるのだと信じているからできる行動なんだと思う。約束のような。
私はあまりそれが好きではないから、どう葬ってもらうか考えておかなければいけない。
どうやって記憶にとどめてもらうことが、生者と死者、お互いのなぐさめになるんだろう。

こういう思いが色濃く反映された戯曲になっていると思うけれど、
どこかが壊れ、命をなくした誰かのなきがらを、心の底から愛おしく扱うことが、多分まだできない。肉も骨も怖い。
どう受け止めればいいのか、わからないまま過ごしているし、先人たちからいくら語られたって、自分たちなりの受け止め方を考えないわけにはいかない。

#3「あの星にとどかない」19/11/2~19/11/4
詳細: http://h2so4onyourlips.me/2019/10/07/post-166/
予約: https://www.quartet-online.net/ticket/anohoshi