しらじらと暗く

湾岸の埋立地の夜は暗くて、青白い街灯と海からの風だけがつめたい。
喫煙所の脇を通りすがって、顔をしかめる。
赤と白の定置式のクレーンが無数に立っていて、
そういえばクレーンとは鶴のことではなかったか。
丹頂の色、といえば、それもそうか。

つめたい風は吹くけれど東京の冬はそんなに寒くなくて、
ポケットに手を入れれば手袋は要らない。
雪が積もるのは年に1回か2回、1cm積もれば交通が乱れ始めるというし、
過ごしやすいというよりは、
これは本当に冬なのだろうかと、拍子抜けする日すらある。

滋賀の南は関西のまちなかとほとんど同じ気候で、
特別寒くも、豪雪地帯でもないけれど、時々しっかり雪が積もる。
母は毎年律儀にスタッドレスに履き替えて、
本格的に活躍するのはまれだけど、十分、無駄はないぐらい。

街灯は眩しいのに白くて暗い。駅までの道を猫背で歩く。
似たようなリュックに予備校の参考書を詰めて
猫背で暗い道を歩いた9年ぐらい前、
京都はもっとずっと寒かったよな。

ポケットから手を出せば、東京のぬるい冬も多少は冷たくて
ふと、思春期のおわりの指先の鋭敏さを思い出す。
冬のベランダに出て指先を冷やすのが好きだった。
大泣きの前には指がじんとしてひりひりとした。
どこにも行けないような気がしたとき、こわばった指で食器を掴み損なった。

あの頃書いた詩のなかで、
透明水彩で色とりどりに汚したワイシャツや、
水底で錆びて、音もなくちぎれたピアノの弦。
ソルビトール、舌下錠、マイナーセブンス。
今もどこかにあるだろうか。

書いたことすら忘れてしまった言葉があるような気がするし、
覚えていても、口に出すことを許されない言葉があるような気がしている。
性愛とか、嫉妬とか、感傷とか、怨嗟とか、憧憬とか、
そういうものと絡まり合ってしまった、声に出せない言葉。

特筆して美しくも醜くもない言葉の連なりに、
それなりに醜い自分の姿が見えてくる。
誰に謝るために書いているんだろう、と思う。
自分のために謝り続けて、いったいなんになるんだろう。

猫背のまま、駅を見上げる。
驚くほど無遠慮に、明るく光っていて、どことなくばかばかしくて、
私のことなんて誰も見ていないって、分かっているのに恥ずかしい。
いっそ怖くないように、目を閉じて改札をくぐろうか。

美しくあること、見つけてもらうこと

見目が美しかったこともなければ、平均より美容に関心を持っていた覚えもないのだが、何の因果かここ2年ほど、化粧品を売る商売に関わりながら糊口をしのいでいる。
どうしても、いわゆる「女らしさ」をいとわない女性が多い業界に、
たまたまスキルが合致しただけの、私のような女がまぎれているのは、わりあい奇異なのではないか、と思わないこともない。

男性も容姿を問わずそれなりにいるわけで、無頓着そうな眼鏡女が一人紛れているぐらいのこと、実は特に気にする人もいないのではないか、という気もするのだが。
この業界に身を置いていながら、いまだにひとりでデパートのコスメカウンターに行くのは気が引けてしまう自分のことをそれなりに恥ずかしく思ってはいる。

わずかにずれたところに座る自分のたった2年弱のキャリアで、確信をもって語れることなんてひとつもないけれど、
品物よりも夢を売る商売をしているな、と感じる瞬間は多い。

ただでさえ美しいモデルを何百枚と撮影して、1枚のベストショットを必死で選び抜いて、
法律ギリギリのラインをかいくぐる表現を必死で探して、夢のような言葉に、ほんの小さな、ぎりぎり読めるか読めないかの注釈を入れて、嘘はついていないとアピールをして。
顧客をごまかしているようで、とことん忌まわしい仕事だと思う日もあるけれど、何より尊い天職だと思う日もある。

どんなにいい品物でも、中身がいいだけでは、売れないのだ。
目に留まらなければ。知ってもらわなければ。

色々鑑みて、自分が演劇をやるときに宣伝というのはかなり意識的に最低限にしてきたところがあると思うけれど、
キャストやスタッフにきちんと対価を支払ってプラマイゼロ、に近づけていくにはどうしたらいいのか。
自分が軸になって作る作品は、どんな人に届けるべきものなのか。
もっといろんなことを考えてお芝居を売らないと、趣味としてもやっていけなくなってしまうだろうな、と怯える日が確かにある。

そういうの、忌まわしいと思うばかりじゃなく、天職だと思う日もあるわけだし。

仕事帰りに凝った首をほぐそうと上を向いたら、星がやたらするどくまたたいていた。
ほんとはこんな風に何気なく、見つけてもらえればいいんだけど、
何気なく見つけてもらうために必要な、恒星のその熱量を思う。