どうしても思い出せないみずいろ

簡単に掃除機をかけて、昼寝をして、その夢に見た、水色にまつわる何かを書こうと思った。
まどろんでいるうちに何を書こうとしたのかは忘れてしまって、そう思った記憶だけが残っている。
水色はとるこ石の色、父の誕生石、でももっと透き通っていたような……わたし、何を書こうとしたんだろう。
肉体ごと壊れてなくなるまでに、こういう忘れ方を無数に繰り返すんだと思う。
死ぬのが怖いから、こういうものをわずかでも残したくて書くのだと思う。

自分の作るものを、死ぬのが怖いから残すもの、と仮定して、その中身についても考える。
分かりやすいなぐさめになる漫画やライトノベルがSNSにたくさん溢れているのを目にして、
こういうものに容易に触れられるのは、いいことなのかわるいことなのか、と考える。
世界はすごく、なんというか壮絶で、そういうものに疲れた人を慰めるのも物語の役割で、
こういうものが求められることは痛いぐらいに分かるし、多分私自身そういうものを求めてもいて、
だけど、「これしか知らずに」死ぬひとがいるとしたら、私は少し寂しいかもしれないな、と思う。

理想、あのひとやあのひとのように
わからないものをわからないなりに考えるために書いたり上演したりしたくて、
私くらい凡庸な人間、どのくらい生きてどのくらい考えればそれができるようになるんだろう。
そうしてぼんやり考える間にも、爆ぜて消えてゆくいろんな独り言。
とても詩にはならないような独り言。

詩的だと言ってもらえるのは嬉しいけれど、
それがわたしのひねくれた少女趣味だけによるものじゃなくて、
むしろ暮らしの泥くささとか、ずるくて怠惰な性欲とか、社会をながめる眼差しとか
そういうものに根ざした詩性であればいいな、と思う。
ばか正直で世間知らずなのはきっといつまで経っても直らないけれど、
それはそれとして、イノセントであることの美徳をわたしは信じない。

先日、打合せをしてきました。
未整理のお話ばかりなので、情報や募集はまとまったらまた。
でもたぶん、今年中になにかできると思います。
なんとかやりおおせたいです。

あまりよくない近況報告として

くちびるに硫酸、3回目の公演がやりたいと言って企画をしていましたが、一旦白紙に戻っています。
私事ですが、滋賀を離れて関東に引っ越すことが決まりました。

実のところ、ハコベさんに「うれふ実」を上演していただきつつ、次の自分の芝居に向けてもう動き始めていたところでした。
懇意な役者さんに声をかけて内内では配役も決めつつあって、スタッフさんに声を掛けたい、オーディションをしたり場所を決めたい、と思っていた矢先、です。
公演の企画を触れ回り始めた時点で考えていたよりかなり早いタイミングで、私が退職と引っ越しをを決めてしまった、という理由で、企画を白紙に戻しました。
キャストやりたいと声を上げてスケジュールの確認をしてくれていた人たちを裏切ってしまって、筆舌に尽くしがたいものがありますし、
前回公演のあと、「また観たい」と言ってくださったお客さん幾人かの近くで、もう一回くらいお芝居がしたかったなあ、と思います。

状況的にはまだ、まだギリギリ、「直前での公演中止を避けるために」「ほぼ何も決まっていない段階で、決めることをやめにした」という方が近いのですが、やっぱり声をかけていた人のことははっきり裏切ってしまったと思います。
また、軽率に「やろうと思います」とツイッターで言っていたことで、楽しみにしてくださっていたお客さんがいたらと思うと非常に申し訳なく思うので、自分の区切りのためにもひとまずブログにだけは残しておきます。

いきさつは上記の通りで、この続きはただの長い言い訳です。
“あまりよくない近況報告として” の続きを読む

漂流記 180128

音響を聴きながら頭はぐるぐる。

今日の稽古は一応通しだったので、スタッフをお願いしてる方々が数名来てくださって。
舞台監督の長峯さんが差し入れを持ってきてくださってみんなで分けた。
ポケットに一杯お菓子を詰めて帰った。叩いても増えないけどね。

大昔、チョコがけのマクビティ(だったと思うんだけど)をポケットに入れて叩いて、
想像通りに割れたのを「ほんとに二つになった」ってはしゃいだこともあったっけ。
母が洗濯の手間が増えたって頭を抱えていた。

(京都ぐらいのサイズの町でネオンがどうこう言うのもなんなのだけど)
キラキラ光るネオンを眺めながら「リカちゃんのポケット」を口の中でもごもご歌う。
これね。(これ動画はちゃんと公式にお金入るやつなのかしら?わかんない。

やるべきことは山積みだけど、とにかく寝なくては、お金稼ぐための仕事ができない。
ありがたいのはお金稼ぐ仕事もまあまあ好きなこと。

気晴らしにDOTAMAの「謝罪会見」を聴く。
会社は好きでも、いかんせん明日は月曜日。
ずっと日曜日ならいいのに。

漂流記 180125

なんで「漂流記」かって、
流されるままに流されて生きてきたような記憶ばかりあるから。
好きなことしてるように見えるだろうし、実際かなりの割合そうなのに、
四半世紀も生きた今でさえ、なにひとつ自分で選んだことなんてないみたいな気分だ。

大人になれないままいつの間にか会社員になっていたし、
大人になれないまま結婚するんだろうし、
なんなら、子どもを作るときでさえそうなのかもしれない。

たまたまシス・ヘテロの女に生まれたので、きっと不妊でなければ子どもはもつんだろう。
恋人が一人っ子で、彼のお母さんはうちの母よりすこし年上で。
タイムリミットが怖いから、衝動に任せて、でも消極的に産むんだろうな、と思う。
「産めばかわいいよ」、という言葉を、縋るように信じて。

ふくよかすぎるくらい肉がついていて、もろもろの周期も分かりやすく正確で、
少なくともホルモン系に関しては豊かなはずだから、授かるときはすぐなのかもしれない。
それが幸いなのか不幸なのかは分からない。

今作の登場人物には母と娘がいるんだけれど。
家族って言う単位をそんなに神聖だと思ってないっていうのもあってか、
彼女ら、よく言われる理想的な親子関係じゃない。
かといってむやみやたらに二人を蹂躙したいわけでもない。
愛がないなんてそんなはずはない。
こういう形をたまたま選ばざるを得なかったというだけの、そういう母娘だと思って書いていた。
少なくとも私は。

拙い筆で書いたそれを、どうやって伝えるんだろうな。
途方もなくて、今なおめまいがする。

そういう葛藤も含めて、面白いんだよなあ。ちくしょう、

予約
http://481engine.com/rsrv/webform.php?sh=2&d=41ea4891e5

***

前回も一緒してくれた沙穂ちゃんに、
「趣味嗜好の話をあまり聞いたことがない」って言われてハッとする。
SNSで垂れ流してるつもりになってちゃんと話したことってないのかもしれない。
思いつく限り列挙するのもいいのかもしれない、と思う。
今日はここよりうしろ、座組の人たちに自己紹介をするつもりで書いてみよう。
素顔になんてぜんぜん興味のない人は読まなくていいよ。

***
“漂流記 180125” の続きを読む

漂流記 180124

稽古のない日は大抵残業をしている。

勤め先はとっても小さな会社で、
残業の夜は一人で残る方が好き。
普段流れてるちょっと古いJ-POPから解放されて、
自分のほんとに好きな曲だけを流しながら
やらなきゃいけないことのうち、できるだけ、好きなことだけをやる。

やりたいことって結構単純作業が多くて、
とりとめのないことに気をとられる。
緑青、って毒あるんだっけ、
とか、
ポロメリアってどんな花だっけ、
とか。
月の沈むのを「地球にコインを入れて明日を引くんだ」とか言ってたあいつは
今どうしてるんだろう。

そのうち意識がふっと空へ飛んでいく。
空を飛ぶってどんな気持ちだろうな、って思いながら脚本書いてたっけ。
急に上司の出張についていくことが決まって、12月には何年かぶりに国際線に乗った。
飛んでいるというのは落ち続けているということだな、といつも思う。
これでもかなり慣れたんだけど。飛行機。

そんなに寒くない日に、
指先がゆっくりと冷えていくのはわりあい好きで。
一人になった感じがするからだと思う。
今日みたいな寒波が来てるとそんな悠長な話じゃなくなるんだけど。

役者に、
相手にどういう気持ちで/ポーズで/位置で受け止めさせるのか、
考えながら芝居してもらうにはどうしたらいいのかな、と思ってる。

よい意味で裏切られてみたいと思ったときに、
わたしは、役者にとってやりづらい相手だったりするんだろうか。
怖いなあ。

やっぱり音に重心がある。
音をもっと選ばなきゃならない。

漂流記 180123

SNSではいつも語りすぎてしまう。
頭の中が多動なんて言い訳してみても、
まあ自己顕示欲とか、強いんだろう、
そのことを恥じる気持ちくらいはあれど、治るものならとっくに治しているわけで。
長文を書く方がむしろ、もう少し抑制が効くんじゃないかと思う。
から、しばらく、そうしようと思う。

いつもなら音楽から作品を書くことが多いのだけれど、
今回、モチーフにした曲、というのがないように思う。
ではなにをなぞって作品を書いたんだろう、と自分でも不思議なんだけど
それが分かったとして、そこにやたらめったら囚われるのもばからしいので、
答えは脚本家の水野じゃなく演出の水野に預けておこう、と思っている。

役者がとても意欲的に稽古場でのことを発信してくれる。
よしあしではなく、今回は、そういう人たちが集まってくれたのだな、と。
そういえば役者が、年下だけになって、
芝居を始めたのは幾つのときだっけな、と思い出しもする。
(前回は役者の半数が同い年だったのよ)

漂流している。
まだ、漂流している。