産まれてからこれまでに、私たちは何度夢を見たんだろう。
27歳を少し過ぎるころ、人間は生まれて10000日を迎えるのだとかなんとか。
わたしは今年27になるので、たぶん9000となんびゃくにちかの眠り。
その中でくっきりと残ってしまった夢がいくつあるだろう。
すごく幸せな夢を見て、目覚めて、ああこれ夢か、なんてつらくなった。
現実でないことがまだ少し悲しい。忘れてしまう方がいいと思う。
なんで夢って、現実とかけ離れて幸せであればあるほど悲しいんだろう。
あの子はもうお芝居をしないだろう、って、そんなこと分かり切っていて、起きてさえいれば想像もしないのに。
そんな夢を見たくらいでこんなに悲しんでいる自分が意外だった。
目を眇めないと覗き込めない思い出、忘れたいけれど忘れたくないいつかのこと。
だけど思い出すとき、懐かしさだけではなくて、吐き気すら催してしまう。
その時どきの精いっぱいが正しいふるまいかどうかはわからなくて、
分からないままに精いっぱいにやっているから、
だから、過去にやったお芝居のこととかって、尊くも思えるし、腐ってどうしようもないものにも思える。
あの子は別に私のせいで芝居をしなくなったわけじゃないんだけど、
二度と一緒にやれないんだったらいっそ、
私があんまりダメだったことに対して、すっかり愛想を尽かされていればいいのに、なんて。
(愛想尽かされてない可能性を想定するのがおめでたいぐらいかもしれないけれど)
ここまで書いたら、炊飯器から音がした
邯鄲の夢、じゃないけど、ご飯が炊けてこういう話を書き続けるのは違うかしらね。