どうしても思い出せないみずいろ

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簡単に掃除機をかけて、昼寝をして、その夢に見た、水色にまつわる何かを書こうと思った。
まどろんでいるうちに何を書こうとしたのかは忘れてしまって、そう思った記憶だけが残っている。
水色はとるこ石の色、父の誕生石、でももっと透き通っていたような……わたし、何を書こうとしたんだろう。
肉体ごと壊れてなくなるまでに、こういう忘れ方を無数に繰り返すんだと思う。
死ぬのが怖いから、こういうものをわずかでも残したくて書くのだと思う。

自分の作るものを、死ぬのが怖いから残すもの、と仮定して、その中身についても考える。
分かりやすいなぐさめになる漫画やライトノベルがSNSにたくさん溢れているのを目にして、
こういうものに容易に触れられるのは、いいことなのかわるいことなのか、と考える。
世界はすごく、なんというか壮絶で、そういうものに疲れた人を慰めるのも物語の役割で、
こういうものが求められることは痛いぐらいに分かるし、多分私自身そういうものを求めてもいて、
だけど、「これしか知らずに」死ぬひとがいるとしたら、私は少し寂しいかもしれないな、と思う。

理想、あのひとやあのひとのように
わからないものをわからないなりに考えるために書いたり上演したりしたくて、
私くらい凡庸な人間、どのくらい生きてどのくらい考えればそれができるようになるんだろう。
そうしてぼんやり考える間にも、爆ぜて消えてゆくいろんな独り言。
とても詩にはならないような独り言。

詩的だと言ってもらえるのは嬉しいけれど、
それがわたしのひねくれた少女趣味だけによるものじゃなくて、
むしろ暮らしの泥くささとか、ずるくて怠惰な性欲とか、社会をながめる眼差しとか
そういうものに根ざした詩性であればいいな、と思う。
ばか正直で世間知らずなのはきっといつまで経っても直らないけれど、
それはそれとして、イノセントであることの美徳をわたしは信じない。

先日、打合せをしてきました。
未整理のお話ばかりなので、情報や募集はまとまったらまた。
でもたぶん、今年中になにかできると思います。
なんとかやりおおせたいです。