、と虚勢を張れる強さを持ち合わせていれば、もう少し色んなことがうまくいっただろうか。と思って。
「遠回りしながらも正しく歩いてるんだ」、と思うようにして進んできたつもりだけど、挫折感がぬぐえないときはあって、
いっそ大声で泣きたいのに、ここしばらくの世相もあって引きこもっていると、刺激が足りなくて涙も出ない。
すごく恥ずかしい話、
2012年ぐらいから、形を変えながらずっと書き続けている作品がある。
もはや跡形もなく形が変わってしまって、でも書いて消して、
投げ出してしばらく放っておいて、また取り掛かって書いて消して、
私の力量では終わらせてあげることができないまま、ここまできた。
2年ばかり放っておいた、妄想の成れの果てのような文字の塊があまりにかわいそうで、さすがにそろそろ形を決めてあげたくて、
話の軸をそのままに新しい形を持ち込んで、古いフレーズも取捨選択しながら、人物の性質とか、細かい部分の設定とか、そういう部分を大きく見直して、
キャラクターがようやく完璧を嫌って、自ら動き出したような手触りがあって。
少しずつ、また進めている。
今度こそ終わらせたいし、やっぱりどこかで、自分の手で上演したい。
2012年に書き始めたものと「同じ作品」だと言い張る根拠はタイトルだけ。
軸はそう大きくぶれていないにせよ、モチーフも話の動きも大きく変わって、
さすがに表に出すときには改題しなければならないんだろうな。
8年も持ち続けた仮タイトル、日の目を見ないとしたら寂しいだろうか。
でも、こんなに長い間定められなかった結末を、些細なこだわりでだめにするほうが怖い、と思いながら、パズルを解くように一文字一文字を打ち込んでいる感覚。
何年も書いて消し続ける方なの、致命的だよな、って当然自分でも思っているけれど、
一度書き始めたものならなんとかして完成させたいし、
こじつけでもいいからそのときに完成させる意味を見出したい。
道にはきっとそもそも正解も間違いもなくて、
客観的には間違いっぱなしかもしれない道を自分なりに「正しい道」だと思えるように歩いてみたのは紛れもなく自分なので、
そういうある種のポジティブさだけはなんとかして誇れるように、こじつけてやるんだよ、と。
技術も体力もないまま、他人からは未練にしか見えないような感情とモチベーションだけで、書く人間、演劇をやる人間、を名乗り続けているならば。
「泣いてる暇はない」と言えずにどこかで泣く予定なら、まあそれはそれ、
だったら、泣いても足を止めないためにどうするか?