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肉体があって、わたしがここにあって、折々の抜け殻として、文字の羅列を残す。

なんてことのない日常の営みとして。

肉体を伴わない言葉はないけど、つたないなりに体温を感じる言葉を残そうと思う。

当然、人肌の生あたたかさを孕んだ言葉なんて偏りそのもので、誰かの明確な救いにもなるんだろうし、一種のグロテスクでもある。

せめてその偏りが明快であれと思う。

わたしはとんでもなくずるく弱い生き物だし、ずっと不確かに漂流しながら、間違いばかりして、人を傷つけながら生きているけど、

言葉ぐらいは、その精一杯の虚勢として、なるべく媚びず、阿らず、立って誰かに手を差し伸べようともがくようなものを並べたい。

けれどそれだって、傷つけてきた誰かへのせめてもの言い訳であり、なんとかして格好つけたい自分への償いなのだと思う。

わたしが書いているのはいつも、回りくどく謝るための言葉だ。

謝ることができない大人にはなるまいというのが信条だけど、

最近は何度も筆を置いて、一向に、言い訳も謝る言葉も浮かばない。

時間だけは有り余っているはずなのに、なんの空想も浮かばなくなってしまい、

どう表現していいかわからないけど、イマジナリーフレンドを亡くしたようなスランプ加減だ。

ついに筆を折ろうかとさえ思った。

立ち現れた現実は私たちを進行形で打ちのめし続けていて、こういうときに、生ぬるい気持ちで誰かに寄り添っているふりをするのは、普段以上に、とても醜悪だと思う。

なんのために書いているのか自問自答を始めて、落ち込んで、逃げて、自傷じみた無益な一人問答を繰り返している。

だからこそ、なにか書かねばならないときでもあるのかもしれないけれど。

80まで何かを生み続けることが目標、と言ってしまったからには、意地で続けなければならない、と、確信めいたものはあるけれど。

そうして、こうやって、眠れない夜にブログぐらいは書く気になったらしいけれど。

やれるのかどうか、まだ自信はないまま。

そういえば、爪先立ちが似合わない歳になったよな、と思う。

もっとも、かろやかにつまさきで跳ねる少女だったころなんて、私にはなかったし、裸足を地面につけて、一歩ずつ進む以外に道はないんだろう、

これまでもこれからも。

背伸び

ブログはすぐに不精になってしまう。

アトリエ5-25-6Produce vol.1  くちびるに硫酸 #3 「あの星にとどかない」
終演のご挨拶もブログではしていなかったんですね。
アトリエ5-25-6(gekidanU)の皆様、出演者・スタッフの皆様、観に来てくださったお客様、本当にありがとうございました。

実は打ち上げの乾杯で泣き出してしまったのですが、
色んな刺激を頂いて、もう少し背伸びしたい、と思ったのが大きいです。
もうこんな歳、同世代より下で演劇を仕事にして巧みにやっている人がたくさんいて、そういう中でつたないものを「同人誌みたいにやる」って、自分のエゴ以外に需要がどこにあるの?って自分に囁く自分がいて、そういう気持ちとの戦い。
だけどまだあと少し、あと少し、細々と続けていきたいので、
もう少しだけ見守っていてほしいです。

今年も大変多くの方にお世話になり、本当にありがとうございました。
まだ、一緒にやらせていただけることに、心からの感謝を。

壊れるとき

愛しいものとの時間を過ごすとき、その終わりについて考えることをやめられない。いつもそうだ。
家族や友人と何気ない食事をするとき、愛らしい飼い猫の年齢を聞いたとき、すやすや眠っている恋人を見るとき、いつも心のどこかでその残り時間が怖い。

恋人は寝起き、いつも顔も耳も真っ赤にしている。赤ちゃんみたい。
昼寝、カーテンを閉めた薄暗い部屋で、赤い顔で呻くのを隣で見ながら腹に手を当てる。
腹か、さもなくば頭か、胸か……どんなに無事に生きたって、いつかはどこかが壊れて、すべてなくなってしまう、二人とも、ここからいなくなる。
肉を焼ききったあとの相手の骨に触れるのは、私か、彼か、どちらなんだろう。それともどこかで道を違えて、逝く日にはもう、私たちは他人として生きているかもしれない。今はまだ想像もできないけれど。

今年の夏、母方の実家に行った。北海道の田舎だ。私と恋人と母で、祖母たちに会いに行って、祖父たちの墓参りをした。
数年前に逝った祖父の遺骨はロッカー型の納骨堂に収められていた。祖母はいつもわざわざロッカーを開け、「お父ちゃん、今日も来たよお」と愛おしそうに言いながら骨壺を抱きしめているといった。
祖父は寡黙で、祖母のかまびすしいおしゃべりを黙って聞く人だった。祖母は死後の祖父が聞いていると疑っていないだろう。
死後に残る意識や霊魂そのものを私は信じていないけど、そのときばかりは、そういう世界を一緒に信じたいと思った。

死後の世界を信じることや死者を祀ることは、死者を忘れないことそのものもそうだけど。
たとえば古い「家の墓」みたいなものを考えると、死後、自分も、顔も知らない血縁の誰かに「ご先祖様」として漠然と思いを馳せてもらえるのだと信じているからできる行動なんだと思う。約束のような。
私はあまりそれが好きではないから、どう葬ってもらうか考えておかなければいけない。
どうやって記憶にとどめてもらうことが、生者と死者、お互いのなぐさめになるんだろう。

こういう思いが色濃く反映された戯曲になっていると思うけれど、
どこかが壊れ、命をなくした誰かのなきがらを、心の底から愛おしく扱うことが、多分まだできない。肉も骨も怖い。
どう受け止めればいいのか、わからないまま過ごしているし、先人たちからいくら語られたって、自分たちなりの受け止め方を考えないわけにはいかない。

#3「あの星にとどかない」19/11/2~19/11/4
詳細: http://h2so4onyourlips.me/2019/10/07/post-166/
予約: https://www.quartet-online.net/ticket/anohoshi

2019/11/2(土)~4(月祝)「あの星にとどかない」公演情報

アトリエ5-25-6Produce vol.1
くちびるに硫酸 #3 「あの星にとどかない」
作・演出 水野はつね

宇宙工学の研究をする若い科学者・マコト。
研究所の主であるカオルさんと一人娘のトコに支えられながら日夜研究に励んでいる。
ある日、マコトは自宅で謎めいたメモを見つける。
メモをきっかけに、夢とうつつの境目をさまようマコト。
欠落した記憶と、繰り返しよぎる幻。
「幸福は確かにあって、だけど目には見えない。人は幸福の痕跡を目にしてようやく、そこに幸福があったことに思い至る。僕らは、……僕らはあのとき幸福だったんだ。まちがいなく。」

――誰かを好きになったことがある大人のための60分絵本。

●出演
殿村雄大
伊藤優
亀井理沙
栄田真実

●会場:
アトリエ 5-25-6(荒川区南千住5−25−6)

●予約URL:
https://www.quartet-online.net/ticket/anohoshi

●日時:
2019年
11月2日(土) 14時~/18時~
11月3日(日) 14時~/18時~
11月4日(月/祝) 12時~/16時~

※受付開始/開場は開演の30分前

●料金:
予約・当日共に 2,500円

●スタッフ:
企画統括 遠藤遊(gekidanU)
舞台監督 ヒガシナオキ(gekidanU)
美術 よりぐちりょうた(gekidanU)
照明 電気マグロ(gekidanU)
音楽/音響 鈴木明日歌(gekidanU)
制作 しろ。
衣装 栄田真実
宣伝美術 あきやまみ

【くちびるに硫酸】 @H2SO4onyourlips
水野はつねによる個人ユニット。
2017年3月にリーディング公演「あの星にとどかない」を上演し旗揚げ。京都市・大津市を拠点に活動後、現在東京都内在住。首都圏では今回が初めての企画となる。
基本的には企画・脚本・演出を水野が務めるプロデュース公演を行う方針。散文詩的なモノローグを軸に、主に愛や性をテーマに据えた作品を発表。
「手の回る範囲で、あくまで趣味として、だからこそしっかりと」、同人誌感覚で演劇作品を発表し続けることがひとまずの目標。

水野はつね(みずの・–)
1992年、滋賀県生まれ。同志社大学文学部美学芸術学科卒業。
2008年、高校入学を機に演劇を始める。
2017年3月、リーディング公演「あの星にとどかない」で個人ユニットを旗揚げ。
2018年2月「傘の尖り」を経て現在に至る。

【アトリエ5−25−6 Produceとは】
南千住の住宅と駐車場を拠点に活動し、
住宅内での家公演や、毎年夏の野外演劇フェス「弔EXPO」を始めとした、
野外劇の上演を行っている、gekidanUによるプロデュース公演。
公演可能な場を持ち、スタッフがほぼ劇団メンバーのみで揃うという特性を活かし、
志はあれど時間やかけられる費用に制約がある方や、
地方からの上京でまだ表現ができる場を見つけられていない方などが、
よりよく公演を行うことができる環境を提供することで、
南千住の地からさらなる演劇文化の活性化を目指す。
Vol.1は京都出身ユニット「くちびるに硫酸」による上京初の公演となる。

【2019年11月】演劇作品 出演者募集@東京

※募集は終了いたしました。

2019年11月上旬、オリジナル戯曲の再演にあたり、
くちびるに硫酸ではキャストを募集しています。

■公演概要■
アトリエ5−25−6 Produce vol.1
くちびるに硫酸 #3 「あの星にとどかない」
作・演出 水野はつね

くちびるに硫酸は、手軽に、気楽に、あくまで趣味として、でもある程度きちんと手間暇かけた作品を作りたくて、京都の学生劇団OGが主宰する“個人ユニット”です。
今回が三度目の公演、2017年に旗揚げリーディング公演で上演した「あの星にとどかない」の再演を行います。
gekidanUさんの家劇場「アトリエ5-25-6」プロデュースの元、スタッフ面や劇場等のバックアップをいただきながら上演を目指す運びとなりました。

オーディションと名はつけていますが、能力云々で上から一方的に選ぶようなイメージよりは、
お友だちもそうでない人も、いろんな役者さん・スタッフさんに会ってみたいなあ、というスタンスです。
力を抜いて気楽に、関西から丸腰でやってきた日曜劇作家/演出家と知り合いに来ていただければ嬉しいです。

(アトリエ5-25-6Produce/gekidanUさんに興味のある方もどうぞ。詳しくはgekidanUさん特設ページにて)

■募集人員■
キャスト
・女性3名予定
・男性1名予定
計4名程度

作品あらすじ・募集予定の役の大まかなイメージはこちら

■稽古日程■
平日夜間 19時~22時の2~3時間×2日
土日いずれか6時間×1日(休憩有)
上記のペースを目安に、9月から週2~3日の稽古+各自の自主練習を想定しています。
出演者の予定や進捗を鑑みて調整有。通し稽古等は土日を想定。
稽古場は原則23区内(主宰の家があるので、東の方が多いと思います)。

■公演日程■
2019年11月2日(土)~4日(月・祝)の3日間を予定
アトリエ5-25-6(南千住)6ステージ程度
本番直前の木金は学校や会社のお休みを取っていただくことになる可能性が高いです。
(木曜は半休でも可の見通し、金曜は全休が望ましいです)
学生・会社員の方は決まり次第、早めからのご調整をお願いいたします。

■ギャランティ■
薄謝・チケットバック予定
ベースギャラ(5,000円程度)+チケットバック500円/枚を想定

■オーディション■
8月3日(土) 10時~16時の間
※上記で参加が難しい場合はお気軽にお知らせください。
※応募者の数によってオーディション/面談等の実施形式を適宜設定させていただきます。
事前に必ずお知らせいたします。
※応募状況によっては早めに応募を締め切る場合もございます。

■応募資格■
・上記コンセプト・日程・費用について承諾し、また参加が可能であること
・18歳以上であり、未成年者は保護者の承諾が得られること(高校生は原則不可)

■応募方法■
2019年7月31日(水)23:59までに、
下記メールアドレス
gekidanU0211@gmail.com
より
題名「アトリエ5−25−6Produce 出演希望」とし、
お顔がわかるお写真を1枚添付の上、
本文に
①お名前(芸名でも可)
②生年月日
③芸歴/経歴(形式自由)
④今回興味を持っていただいたきっかけ/ポイント
⑤オーディションのご希望のお時間帯
⑥ご質問、ご不明点等あればご自由にお知らせください。※記入任意
を記入の上、ご送信ください。

***

【アトリエ5−25−6 Produceとは】
南千住の住宅と駐車場を拠点に活動し、
住宅内での家公演や、毎年夏の野外演劇フェス「弔EXPO」を始めとした、
野外劇の上演を行っている、gekidanUによるプロデュース公演。
公演可能な場を持ち、スタッフがほぼ劇団メンバーのみで揃うという特性を活かし、
志はあれど時間やかけられる費用に制約がある方や、
地方からの上京でまだ表現ができる場を見つけられていない方などが、
よりよく公演を行うことができる環境を提供することで、
南千住の地からさらなる演劇文化の活性化を目指す。
Vol.1の今回は京都出身ユニット「くちびるに硫酸」による上京初の公演となる。

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【くちびるに硫酸】 @H2SO4onyourlips
水野はつねによる個人ユニット。
2017年3月にリーディング公演「あの星にとどかない」を上演し旗揚げ。
京都市・大津市を拠点に活動、現在は東京都内在住。首都圏では今回が初めての企画となる。
基本的には企画・脚本・演出を水野が務めるプロデュース公演を行う方針。散文詩的なモノローグを軸に、主に愛や性をテーマに据えた作品を発表。
「手の回る範囲で、あくまで趣味として、だからこそしっかりと」、同人誌感覚で演劇作品を発表し続けることがひとまずの目標。

水野はつね(みずの・-)
1992年、滋賀県生まれ。同志社大学文学部美学芸術学科卒業。
2008年、高校入学を機に演劇を始める。
2017年3月、リーディング公演「あの星にとどかない」で個人ユニットを旗揚げ。
2018年2月「傘の尖り」を経て現在に至る。

どうしても思い出せないみずいろ

簡単に掃除機をかけて、昼寝をして、その夢に見た、水色にまつわる何かを書こうと思った。
まどろんでいるうちに何を書こうとしたのかは忘れてしまって、そう思った記憶だけが残っている。
水色はとるこ石の色、父の誕生石、でももっと透き通っていたような……わたし、何を書こうとしたんだろう。
肉体ごと壊れてなくなるまでに、こういう忘れ方を無数に繰り返すんだと思う。
死ぬのが怖いから、こういうものをわずかでも残したくて書くのだと思う。

自分の作るものを、死ぬのが怖いから残すもの、と仮定して、その中身についても考える。
分かりやすいなぐさめになる漫画やライトノベルがSNSにたくさん溢れているのを目にして、
こういうものに容易に触れられるのは、いいことなのかわるいことなのか、と考える。
世界はすごく、なんというか壮絶で、そういうものに疲れた人を慰めるのも物語の役割で、
こういうものが求められることは痛いぐらいに分かるし、多分私自身そういうものを求めてもいて、
だけど、「これしか知らずに」死ぬひとがいるとしたら、私は少し寂しいかもしれないな、と思う。

理想、あのひとやあのひとのように
わからないものをわからないなりに考えるために書いたり上演したりしたくて、
私くらい凡庸な人間、どのくらい生きてどのくらい考えればそれができるようになるんだろう。
そうしてぼんやり考える間にも、爆ぜて消えてゆくいろんな独り言。
とても詩にはならないような独り言。

詩的だと言ってもらえるのは嬉しいけれど、
それがわたしのひねくれた少女趣味だけによるものじゃなくて、
むしろ暮らしの泥くささとか、ずるくて怠惰な性欲とか、社会をながめる眼差しとか
そういうものに根ざした詩性であればいいな、と思う。
ばか正直で世間知らずなのはきっといつまで経っても直らないけれど、
それはそれとして、イノセントであることの美徳をわたしは信じない。

先日、打合せをしてきました。
未整理のお話ばかりなので、情報や募集はまとまったらまた。
でもたぶん、今年中になにかできると思います。
なんとかやりおおせたいです。